おはようございます、朗です。夜分遅くからずっとパソコンと睨めっこをしていたせいか、なかなか眠気が来てくれないので、眠気が来るまでちょっとだけ書き残しておきたいと考えていたことを記事として書かせて頂きます。
BW9の情報が少しづつ公開され始めたようですね。目玉商品であるゲノセクトEXはここ数年、冷遇され続けてきた草タイプの救世主となれるのでしょうか。そしてシビルドンps、キュレムEXと魅力的なカードが次々と公開される中で、これらの新カードを踏まえた上で、今年の春に行われる公式大会ではどのようなデッキが現れ、どのようなデッキが表彰台を勝ち取るのでしょうか。それを想像するだけでも春に向けてのモチベは維持できそうですね。
前回の「運」と「幸運」についての記事が予想以上に反響を呼んだみたいで驚きました。僕が常日頃から考えているような、些細なことがこのDNを読んで下さっている方々に対して、何かしら新しい発想を生むためのヒント、今持っている考え方をより磨くためヒントにして頂けると、記事を書いた僕としてはとても嬉しいです。そして、何となくこの決まり文句が気に入ったので、書ける時に書ける程度の頻度で記事にし、シリーズ化させていこうかなって考えています。
この日記をご覧になっているポケモンカードプレイヤーの皆さんは
「今の自分が強くなるための工夫」として常日頃からどんなことを心がけていますか?
僕の中でポケモンカードの公式大会における「本番」という物は、ここ数年の開催形式で表すならばバトルカーニバル・WCS(世界戦)に当たる思います。吹奏楽部出身の僕としては、こういったイベントは年に一度しかない「全日本吹奏楽コンクール」みたいな物として考えています。同じ意味合いとして高校野球で僕のイメージを表すならば「全国高等学校野球選手権大会」みたいな物ですね。どんな形で銘を打ったとしても、大抵の人からしてみれば「負けられない物である」ことは間違いないでしょうね。
では、公認大会などのジムチャレンジはどうでしょう。僕は「練習試合」だと考えています。ここ最近では、地方ごとに有志プレイヤーの皆さんによって企画されている自主大会がありますよね。場所によってはその規模が公認大会のジムチャレンジを凌ぐとか。僕が在住している東北地方でも、来週の23日(土)にナナホシ杯という自主大会が開催されるので、とても楽しみです。最近はこれらの自主大会に焦点を当てて「負けられない物である」と考えている方々もいらっしゃるでしょう。もちろん、ジムチャレンジでの戦い、大会など銘を打たないフリーバトルでも「負けられない物である」と考えている人も沢山いると思います。
さて、負けられない物であるという気持ちを持つのは何故でしょう。答えは簡単、「勝ちたいから」にという意志によるものです。では、何処で勝ちたいのか。これは人によって定める目標が違うと思いますが、「あの人に勝ちたい」とか、「決勝トーナメントに残れるように勝ちたい」とか、「優勝するために勝ちたい」など、色々な物があると思います。目標を定めようとすると自分が満足出来ない限り、キリが無いかもしれません。そういった中で、私達は自分の勝ちたいという気持ちを達成するために何をするのでしょうか。それは勝ちたいタイミングで勝つための練習ですよね。そして、その中で「負ける」という経験は避けては通れない壁だと思います。
時事的な話題をお話しましょう。ここ最近になってみらチャン杯の結果による影響からか、ゴチルゼルアギルダーによるロックデッキが注目され始めました。そして、関西の強豪プレイヤーであるたねぼーパパさんがゴチアギの具体的なデッキレシピを公開しました。僕も彼のデッキレシピを拝見しましたが、「流石は良い意味での研究者気質を持っている強豪プレイヤーのたねパパさんだ」と素直に思える興味深いデッキレシピでした。これでこの環境の中にゴチアギと呼ばれるデッキがコピーしやすくなったので、更にゴチアギが増えることになったでしょう。いやぁ、自分が使わない、使うにしても、使われることによる対策を考えるのが非常に大変ですね。それでもここまで来ると地雷とは呼べないですし、対処することを常に意識しなければいけないということで、非常にワクワクしますね。
これはあくまで僕の予想ですが、来週行われるナナホシ杯でゴチアギに負かされる方々が沢山現れると思います。あんなに強力なシステムデッキの具体的なレシピ解説を、強豪かつ有名なプレイヤーの手によってにあそこまで細かくされてしまったら、少し使い方を覚えただけでわりと容易くコピーが出来てしまうでしょう。それでもそのデッキに勝ちたいのならば、生半可な気持ちでゴチアギに臨んだら、まず自分が勝てる可能性の方が低いです。そして、負けてしまう可能性が高いですよね。どうしても負けたくない人は頑張って勝つための対策を練るしかありません。それは自分が勝てる人間になるために必要な努力でしょう。しかしながら、それでも負けてしまうことがあります。正直、それは仕方のないことです。どんな時でも常に勝ち続けることが出来る人なんて、この世にそういませんから。
さて、ここで行う対策、練習といった行動において何が最も大切なのでしょうか。僕の中での答えは 「負けを受け入れる」ということです。先程も述べたように、「負ける」という経験は決して避けては通れない物です。そして、練習の中で回数を重ねていくにつれて、その負けるという経験をする回数も増えていくでしょう。勝つことは当然、大事ですね。勝つためにやっているのですから、勝てるようにならなければ意味がありません。では、負けるという経験は無意味な物なのでしょうか。僕はそうは思いません。むしろ、自分が設定した本番を迎えるまでに、自分がどれぐらい負けたかという経験を自分にとって意義のある物として考え、自分が負けたという1つ1つの経験から何を学ぶかが、今の自分がより強くなるための工夫だと考えます。
自分が未来に対してある程度の予測ができる、或いは予測ができない相手と巡りあったとしても、負けることなんてわりとあります。それでも自分が負けたという経験から、どんなことを学ぶかということがとても大事だと僕は思っています。負けたのならば次は負けないために勝ち筋を研究する。その研究は辛いかもしれませんが、自分の中で目的意識がはっきりと定まっているために、自分にとっては研究に費やす時間は意味のある生産的な物であり、何よりもトータルで考えるとすごく楽しいものではないでしょうか。これはポケモンカードだけでなく勝負事や人生における醍醐味だと僕は思いますよ。もちろん、それがはっきりと自分の中で楽しいと思えるのは「自分の中である程度、もしくはそれ以上の成果を残せた」と実感できた時だとも思いますけどね。
僕は負けるという経験は、勝つという経験以上に意義のある物だと考えています。負けるという経験は、その時の自分に足りない物を気付かせてくれるタイミングでもあります。しかしながら、それに気付き、それを受け入れ、それを自分が勝てるための工夫として昇華させることが出来なければ、その時に経験した自分の中で負けという現実は、「今よりも未来の自分は勝てる人間になりたい」という気持ちに対して、意義のある物に出来ないだろうとも考えています。要は「根拠のある前向きな思考」が大切だってことですね。
そういえば昔、スラムダンクという有名なマンガで素晴らしい台詞がありました。
「『負けたことがある』というのが、いつか大きな財産になる」
これって「自分が負けを受け入れることが出来るのならば、今の自分はより強くなれるだろう」という希望が込められた言葉だと僕は捉えています。僕が何が言いたいのかというと、負けるという経験は自分が勝てるようになるためへの下積みなんです。だからこそ、自分が勝ちたいならば、自分の中で「負けを受け入れることの意義」を確立させるということが、とても大事なことなんじゃないですかね。
BW9の情報が少しづつ公開され始めたようですね。目玉商品であるゲノセクトEXはここ数年、冷遇され続けてきた草タイプの救世主となれるのでしょうか。そしてシビルドンps、キュレムEXと魅力的なカードが次々と公開される中で、これらの新カードを踏まえた上で、今年の春に行われる公式大会ではどのようなデッキが現れ、どのようなデッキが表彰台を勝ち取るのでしょうか。それを想像するだけでも春に向けてのモチベは維持できそうですね。
前回の「運」と「幸運」についての記事が予想以上に反響を呼んだみたいで驚きました。僕が常日頃から考えているような、些細なことがこのDNを読んで下さっている方々に対して、何かしら新しい発想を生むためのヒント、今持っている考え方をより磨くためヒントにして頂けると、記事を書いた僕としてはとても嬉しいです。そして、何となくこの決まり文句が気に入ったので、書ける時に書ける程度の頻度で記事にし、シリーズ化させていこうかなって考えています。
この日記をご覧になっているポケモンカードプレイヤーの皆さんは
「今の自分が強くなるための工夫」として常日頃からどんなことを心がけていますか?
僕の中でポケモンカードの公式大会における「本番」という物は、ここ数年の開催形式で表すならばバトルカーニバル・WCS(世界戦)に当たる思います。吹奏楽部出身の僕としては、こういったイベントは年に一度しかない「全日本吹奏楽コンクール」みたいな物として考えています。同じ意味合いとして高校野球で僕のイメージを表すならば「全国高等学校野球選手権大会」みたいな物ですね。どんな形で銘を打ったとしても、大抵の人からしてみれば「負けられない物である」ことは間違いないでしょうね。
では、公認大会などのジムチャレンジはどうでしょう。僕は「練習試合」だと考えています。ここ最近では、地方ごとに有志プレイヤーの皆さんによって企画されている自主大会がありますよね。場所によってはその規模が公認大会のジムチャレンジを凌ぐとか。僕が在住している東北地方でも、来週の23日(土)にナナホシ杯という自主大会が開催されるので、とても楽しみです。最近はこれらの自主大会に焦点を当てて「負けられない物である」と考えている方々もいらっしゃるでしょう。もちろん、ジムチャレンジでの戦い、大会など銘を打たないフリーバトルでも「負けられない物である」と考えている人も沢山いると思います。
さて、負けられない物であるという気持ちを持つのは何故でしょう。答えは簡単、「勝ちたいから」にという意志によるものです。では、何処で勝ちたいのか。これは人によって定める目標が違うと思いますが、「あの人に勝ちたい」とか、「決勝トーナメントに残れるように勝ちたい」とか、「優勝するために勝ちたい」など、色々な物があると思います。目標を定めようとすると自分が満足出来ない限り、キリが無いかもしれません。そういった中で、私達は自分の勝ちたいという気持ちを達成するために何をするのでしょうか。それは勝ちたいタイミングで勝つための練習ですよね。そして、その中で「負ける」という経験は避けては通れない壁だと思います。
時事的な話題をお話しましょう。ここ最近になってみらチャン杯の結果による影響からか、ゴチルゼルアギルダーによるロックデッキが注目され始めました。そして、関西の強豪プレイヤーであるたねぼーパパさんがゴチアギの具体的なデッキレシピを公開しました。僕も彼のデッキレシピを拝見しましたが、「流石は良い意味での研究者気質を持っている強豪プレイヤーのたねパパさんだ」と素直に思える興味深いデッキレシピでした。これでこの環境の中にゴチアギと呼ばれるデッキがコピーしやすくなったので、更にゴチアギが増えることになったでしょう。いやぁ、自分が使わない、使うにしても、使われることによる対策を考えるのが非常に大変ですね。それでもここまで来ると地雷とは呼べないですし、対処することを常に意識しなければいけないということで、非常にワクワクしますね。
これはあくまで僕の予想ですが、来週行われるナナホシ杯でゴチアギに負かされる方々が沢山現れると思います。あんなに強力なシステムデッキの具体的なレシピ解説を、強豪かつ有名なプレイヤーの手によってにあそこまで細かくされてしまったら、少し使い方を覚えただけでわりと容易くコピーが出来てしまうでしょう。それでもそのデッキに勝ちたいのならば、生半可な気持ちでゴチアギに臨んだら、まず自分が勝てる可能性の方が低いです。そして、負けてしまう可能性が高いですよね。どうしても負けたくない人は頑張って勝つための対策を練るしかありません。それは自分が勝てる人間になるために必要な努力でしょう。しかしながら、それでも負けてしまうことがあります。正直、それは仕方のないことです。どんな時でも常に勝ち続けることが出来る人なんて、この世にそういませんから。
さて、ここで行う対策、練習といった行動において何が最も大切なのでしょうか。僕の中での答えは 「負けを受け入れる」ということです。先程も述べたように、「負ける」という経験は決して避けては通れない物です。そして、練習の中で回数を重ねていくにつれて、その負けるという経験をする回数も増えていくでしょう。勝つことは当然、大事ですね。勝つためにやっているのですから、勝てるようにならなければ意味がありません。では、負けるという経験は無意味な物なのでしょうか。僕はそうは思いません。むしろ、自分が設定した本番を迎えるまでに、自分がどれぐらい負けたかという経験を自分にとって意義のある物として考え、自分が負けたという1つ1つの経験から何を学ぶかが、今の自分がより強くなるための工夫だと考えます。
自分が未来に対してある程度の予測ができる、或いは予測ができない相手と巡りあったとしても、負けることなんてわりとあります。それでも自分が負けたという経験から、どんなことを学ぶかということがとても大事だと僕は思っています。負けたのならば次は負けないために勝ち筋を研究する。その研究は辛いかもしれませんが、自分の中で目的意識がはっきりと定まっているために、自分にとっては研究に費やす時間は意味のある生産的な物であり、何よりもトータルで考えるとすごく楽しいものではないでしょうか。これはポケモンカードだけでなく勝負事や人生における醍醐味だと僕は思いますよ。もちろん、それがはっきりと自分の中で楽しいと思えるのは「自分の中である程度、もしくはそれ以上の成果を残せた」と実感できた時だとも思いますけどね。
僕は負けるという経験は、勝つという経験以上に意義のある物だと考えています。負けるという経験は、その時の自分に足りない物を気付かせてくれるタイミングでもあります。しかしながら、それに気付き、それを受け入れ、それを自分が勝てるための工夫として昇華させることが出来なければ、その時に経験した自分の中で負けという現実は、「今よりも未来の自分は勝てる人間になりたい」という気持ちに対して、意義のある物に出来ないだろうとも考えています。要は「根拠のある前向きな思考」が大切だってことですね。
そういえば昔、スラムダンクという有名なマンガで素晴らしい台詞がありました。
「『負けたことがある』というのが、いつか大きな財産になる」
これって「自分が負けを受け入れることが出来るのならば、今の自分はより強くなれるだろう」という希望が込められた言葉だと僕は捉えています。僕が何が言いたいのかというと、負けるという経験は自分が勝てるようになるためへの下積みなんです。だからこそ、自分が勝ちたいならば、自分の中で「負けを受け入れることの意義」を確立させるということが、とても大事なことなんじゃないですかね。
コメント
負け試合から得られることは多いですよね。
負けた時に悔しさのあまり、「相手が一枚上だった」とか「相手がブン回りすぎた」とか自分を納得させるための理由を探したりする方も多いですが、そこから一歩前に踏み出さないと、「負けることでしか得られない大切なモノ」も得られないと私も考えています。
私の頭の中に思い浮かべていたものを整理して文章にして頂いたようで、とてもスッキリしました。
ありがとうございます。
いつも負けてばかりの自分には勇気づけられるお話しでした。
息子にも「負けから学ぶ事」が多い事を知って欲しいと思います。
リンクさせて頂きました。
これからも記事を楽しみにしております☆
この記事を書いた後に気が付いたんですが、負けると「悔しい」っていう気持ちが生まれますよね。子どもでも大人でも程度は違えど、その気持ちは同じだと思います。悔しいという気持ちは僕だって常日頃から感じていますが、あまり表に出すことはありません。人前では「仕方ない」だとか「どうしようもない」の一言で片付けることが多いのです。実際のところすっごく悔しいですけどね(笑)
ただ、その悔しさを未来の自分に対してどのように力にするのか…それが僕の考えている「負けを受け入れる」ということに通じると思います。自分が一歩前に踏み出すって勇気がいる上に、簡単なことではないですけど、そこを乗り越えられたら自分が求める強さへ確実に近づけると僕は信じています。
たねパパさんにそういって頂けて光栄です。素直に嬉しいです。
こちらこそありがとうございます。
初めまして、コメントありがとうございます。
「負けることから学べることがある」と気がつけるのは、年齢が若ければ若い方が将来が楽しみになりますね。ただ、「挫折を覚える」ということと、「負けを受け入れる」ということは意味合いが大きく変わってくるので、お子さん自身が負けるという経験から、どのように自分の力で「根拠のある前向きな思考へ持っていけるか」が、より強くなれるかどうかのポイントだと思います。言い方を変えるならば、「自分の中で明確な動機付けができるかどうかが大切である」ということです。
リンク返しありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
リンクありがとうございました。コメントが今頃になってしまいすみません。
実は時々日記を拝見しておりました。
いつも朗さんの前向きでまっすぐで熱い内容に共感しながら拝読しております。
我が息子ryotaにも、負けて腐るのではなく、そこから学べる人間に
なってほしいと思っています。
まだ年長さんなので期待しすぎかもしれませんが(笑)
同郷(私、仙台生まれ仙台育ちです)のよしみということで今後とも
応援・拝読させて頂きたく、宜しくお願い申し上げます。
初めまして、コメントありがとうございます。
こちらこそ返信が遅れてしまい申し訳ありません。
お褒めの言葉ありがとうございます。
僕は元々、前向きでもなくまっすぐでもない生き方をしてきた人間なのですが、とあることがきっかけで僕の持ち味が「情熱」であることに気がつき、今のやり方でポケモンカードへ力を注ぐことになりました。このやり方に至るまでは色々な回り道をしてきましたが、これは今の自分になるために必要な道だったとも考えています。
年長さんですか。勝てる時間も、負ける時間も、あらゆる出来事を経て学べる時間も沢山ありますので、お子さんカッコイイ人間になるために歩む、未来が楽しみですね。
なんと、仙台出身でしたか。仙台を愛する同士として、今後ともよろしくお願いします。